ああ玉杯に花うけて 三

　何人（なんぴと）が覚平のさしいれ物をしたかは永久の疑問として葬（ほうむ）られた。
「伯母さん、ぼくはどんなにもかせぐから、そんなことをいわないでくださいよ」　ある日かれは豆腐（とうふ）おけをかついで例の裏道（うらみち）を通った、かれの耳に突然異様の音響が聞こえた。
欝蒼（うっそう）と茂った樹々の緑のあいだに、明るいぼたんの花が目ざむるばかりにさきほこっているのが見える。

「いくら働いてもご飯が食べられないのだ、働かない方がいい、死んでしまうほうがいい、ぼくなぞは生きてる資格がないのだ、路傍のかえるのように人にふまれてへたばってしまうのだ」　暗い憂欝（ゆううつ）は心を閉（と）ざした。
千三はだまってうつむいていた。
「いいや」と千三は頭をふった。
日は次第に暮れかけてうの花だけがおぼろに残った。
覚平の一件があってから凶暴（きょうぼう）が凶暴を加えた。
これが校中の大問題になった。
この日は幾何学（きかがく）の試験であった。

原典: 『ああ玉杯に花うけて』 佐藤紅緑