愛と美について

映画館を出てからは、尊大に、むっと不気嫌になって、一言も口をきかない。
名乗り出たのは末弟である。
調子が出て来た、と内心ほくほくしている。
んだがなあ、と思っても、いまさら、それを取りに行って来るわけにもゆくまい。

話の、つぎほが無かった。
博士は、ひどい汗かきなのに、今夜は、ハンカチを忘れて出て来たので、いっそう惨めなことになりました。陳腐な駄洒落（だじゃれ）を連発して、可笑しくもないのに、手を拍（う）たんばかりに、そのあいつの一言一言に笑い興じて、いちどは博士も、席を蹴（け）って憤然と立ちあがりましたが、そのとき、卓上から床に落ちて在った一箇の蜜柑（みかん博士は、あきらめません。博士は、お酒には、あまり強いほうでは、ございません。博士は、迷信を信じません。
そのビヤホールをお出ましになりました。
こともございません。
花屋から躍り出て、それから、お宅へ、まっしぐら。
写真に向って、話かけているのです。

原典: 『愛と美について』 太宰治